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仙台家庭裁判所 昭和45年(少ハ)8号 決定

少年 M・Z(昭二七・一・四生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

本件戻収容申請は、これを却下する。

理由

(非行事実)

少年は、昭和四五年一一月七日午前一〇時五〇分ごろ、○○市○町○丁目○番○号東北本線○町駅構内地下道において、金品を窃取する目的で通行中の○橋○子(二二歳)とすれちがう際、同人の所持する手提袋に両手をかけて引つぱつたが、同人に大声で「泥棒、泥棒」とさわがれたため、その目的を遂げず未遂に終つたものである。

(適条)

窃盗未遂の点につき刑法二四三条二三五条

(要保護性)

一  少年は、畳職人であつた父の三男(兄二人、弟二人、妹一人)として出生したが、父は酒好き、怠情で、母は無知、無気力で夫婦間は不和であり、少年に対し父は暴力を加える等家庭環境は劣悪で、五歳頃から保育所内で友達に異常な乱暴を行い、小学校入学後も盗み、暴行等で児童相談所の指導をうけ、昭和三五年二月三日同所から当庁に対し強制措置の許可申請がなされ(昭和三五年少第二八九号)、同年三月一一日向う二年間の強制措置が許可され、同年四月一日国立教護院に収容され、昭和三七年四月二四日同所を退所し、一時帰宅したが問題行動は改らなかつたので同年八月三〇日再度修養学園に収容され、昭和三八年二月二日○○病院(精神科)に入院し、同年七月一〇日同病院を退院し帰宅したが、昭和四〇年九月一日教護院さわらび学園に収容され、昭和四二年一月八日万引を重ね同年二月八日窃盗保護事件として当庁に係属し(昭和四二年少第一七三号)、同年三月二九日試験観察に付されたが二月後には生活が乱れ、怠情な生活、両親への暴力が頻繁となり、同年六月二三日中等少年院送致決定がなされ、同月二七日青森少年院に収容されたが、院内の集団生活では孤立的で、唯事故償罰に該当する行為もなく昭和四三年一〇月二四日仮退院を許可され、その帰住地を管轄する仙台保護観察所の保護観察に付され、遵守事項として次のとおり定められた。

1  正業に就き、まじめに働くこと。

2  家庭にあつては規則正しく生活し、父母に心配かけない。

3  他人の迷惑となるような行為はしない。

4  保護司方に進んで訪問し、身のふり方について相談し、勝手な行動をしない。

二  仮退院後は父方に帰住し、保護司の熱心な指導により、同月二八日から大工見習として稼働し小康を得たが、昭和四四年四月二七日ささいなことを理由に退職し、同年五月八日工員として就職したが、同月二四日帰宅途中自転車を窃取し(当庁、昭和四四年少第一〇六二号)たが、雇主が特に少年に対し理解があつたので、同年九月一六日不処分決定がなされた。ところが、同年一二月ごろから無断欠勤、父に対する暴力等頻繁となり保護司の言にも耳を傾けなくなり昭和四五年六月六日「体の汚れる仕事は嫌気がさした」といつて退職し、極めて不安定な生活となつたので、同年七月二三日東北地方更生保護委員会の指導により、更生保護会宮城東華会に委託保護され、同所から看板職人見習として稼働していたが、

1  同年八月二六日、仙台市○町○丁目の路上において、通行中の○野○○子(当時妊娠中)の腹部を足蹴りにし

2  同日、前記宮城東華会に帰会後、同室者の○城○に対し、ささいなことから暴行を加えた。(1、2は戻収容申請理由)

その後、少年は同年九月七日、独断でパチンコ店に住込みで就職したが、同年一〇月初め他のパチンコ店に転じ、翌一一月三日ささいなことで約二二、〇〇〇円を得て退職したが、その後は仙台駅待合室で夜を過ごしながら遊興、飲食等に三日で費いはたし同月七日所持金のなかつたことから本件非行をなした。

三  前記認定事実によると、少年の初発非行は幼児のころ認められ、その後も矯正されず、むしろ犯罪傾向は強まつている。

少年の非行性は、幼少時の両親に対する不信感によつて情緒不安定で、あきやすい性格となり社会適応を困難とし、特に勤労意欲の欠如対人不信感となつてあらわれ、その結果非行に走るものと考えられる。

以上の諸般の事情を総合すると少年の更生のためには、少年院における矯正教育を受けさせることが相当であると思料する。他方、退院後の保護環境には特に調整配慮が望まれる。

なお、戻収容申請については、前記のとおり遵守事項に違反し再犯のおそれもあり、これを認める充分な理由があるが、本件窃盗未遂事件につき収容保護を加える以上、戻収容を認容する必要がないので、これを却下することとし、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条三項、犯罪者予防更生法四三条一項、少年院法一一条三項、少年審判規則五五条により、主文のとおり決定する。

(裁判官 若林昌子)

参考 抗告審決定(仙台高裁昭四五(く)二二号 昭四五・一二・二六決定)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意および理由は、少年作成名義の昭和四五年一二月八日付抗告申立書に記載のとおりであり、その要旨は、少年は充分に意見を述べる機会も与えられないで唯窃盗未遂ということ丈のために中等少年院送致決定を言渡されたが、少年院に送られても悪くなるばかりで役にたつことはなく無駄な月日を送ることになるのみならず既に鑑別所で深く反省して二度と繰り返さないことを決心し職業に就きたいと思つているので、原決定を取り消して暫くの試験期間を与えてほしいというのである。

しかし事件記録および調査記録を精査すると、少年が審判の席上で自由な陳述を妨げられたと窺える資料はなく、施設収容が有害無益であるとは思われない。けだし、少年は貧しくめぐまれない家庭で生育し六才の頃から火遊びや盗みのため児童相談所に通告されて以来養護施設光ヶ丘天使園、教護院武蔵野学院、同修養学園およびさわらび学園などの施設で成長しその間にも無断外出して窃盗などをしたことがすくなくなかつたが、家庭裁判所調査官や関係官署のケースワーカーその他各施設の職員や補導委託先の並々ならない努力も空しく昭和四二年六月二三日仙台家庭裁判所において窃盗保護事件(同庁昭和四二年少第一七三号)により中等少年院送致の決定を受け昭和四三年一〇月二四日青森少年院を仮退院した後も職場に定着せず一方において遵守事項に違背したため昭和四五年九月九日東北地方更生保護委員会より戻し収容申請がなされるに至り他方においてその頃パチンコ店員として転々したうえ同年一一月初旬職を離れて浮浪し○町駅構内でいわゆるひつたくり窃盗未遂を敢行して本件中等少年院送致決定を受けるに至つたものであることが認められ、間もなく満一九歳に達しようとする年令でもあり、また今までまがりなりにも鮨屋店員大工見習鋳物工見習看板職見習パチンコ店員などとして大人の社会にも接した経験もある少年には充分判つていることと思われるが、どんな職場でも少年の気分通りには渡つて行けないものであることをさらに反省してみる必要があるとともに、職を安易に離れたことが直ちに本件犯行を誘うことになつたゆえんをとくと考え且つまた未遂だつたからといつて少年の思つているほど軽々しく見てよい事件ではないことを肝に銘じる必要があると認められるのであつて、いかに幼少時からの生育歴にめぐまれないものがあつたからといつて何時までも周囲の援護と好意に甘えていることは許されない。家庭への帰属感を失つた少年が職に就きたいという気持の強いことは充分に理解できるし、両親のもとを離れて自らの勤労によつて生計をたてることこそ少年の生きがいにかなう方向と認められるが、少年の胸中に従来のような気分のおもむくままに職場を変える身勝手さがある限りは本件の如き非行をくりかえすことになるおそれが多分に感じられるので、少年のこれからの永い一生をしあわせに転じるためにもいましばらくの施設における矯正教育により過去を振り返り将来を見定める機会を持たせることがまさに適切と思料されるのである。

以上のとおり原決定はまことに相当で本件抗告は理由がなく少年法第三三条第一項、少年審判規則第五〇条に則り棄却すべきであるから主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 細野幸雄 裁判官 深谷真也 桜井敏雄)

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